腱板断裂からの復帰を支えるマッスルメモリーの力

腱板断裂と上腕二頭筋長頭腱断裂、そしてマッスルメモリー

トレーニングを止めざるを得ない現実

私はこれまで24年以上パーソナルトレーナーとして活動し、自分自身のトレーニングも34年以上続けてきました。ベンチプレスをはじめ、日々のトレーニングは生活の一部であり、健康やパフォーマンスの源でもありました。

しかし今回、右肩の腱板断裂と上腕二頭筋長頭腱断裂という大きな怪我を負い、手術と長期のリハビリが必要になってしまいました。肩の痛みは8月から続き、夜も眠れないほど強いもので、これまでの日課であった自主トレーニングは完全に中断しています。

正直に言うと、この34年の中でこれほど長いブランクを強いられるのは初めてです。私と同じように、「長く運動を休んだら筋肉は全部なくなってしまうのでは?」と不安に思う方も少なくないと思います。私自身も同じ気持ちを抱えました。

そこで希望を持たせてくれるのが「マッスルメモリー(muscle memory)=筋肉の記憶」という仕組みです。

「マッスルメモリー」って何?

「一度鍛えた筋肉は戻りやすい」

「昔は筋肉質だったから、少し運動すればすぐ体が変わる」

こうした言葉を耳にしたことがあると思います。これを裏づける考え方が、マッスルメモリーです。

マッスルメモリーとは、一度トレーニングで強くなった筋肉が、ブランクを経ても再びトレーニングを始めたときに、以前よりも速く回復・成長する現象を指します。

運動神経系が「動きを覚える」という意味でのマッスルメモリーもありますが、ここでは**筋肉自体が生物学的に“戻りやすい”**という点に注目します。

なぜ筋肉は戻りやすいのか?

筋核(myonuclei)の保持と筋サテライト細胞の働き

筋肉は、筋線維という細胞の束でできています。そして筋線維の中には「筋核」と呼ばれる核が存在します。

トレーニングを行うと、**筋サテライト細胞(筋衛星細胞)**と呼ばれる幹細胞が活性化し、筋線維に新しい筋核を追加します。筋核が増えることでタンパク質合成能力が高まり、筋繊維は太く強くなります。

ここで大事なのは、一度増えた筋核は筋肉が萎縮してもすぐには減らない、ということです。

つまり、筋肉量が一時的に落ちても「筋核」という土台が残っているため、再トレーニングするとスピーディーに元に戻せるのです【①】。

エピジェネティックな変化

もう一つ重要なのが「エピジェネティクス」という仕組みです。

これは遺伝子の配列そのものを変えるのではなく、その使われやすさを調整する仕組みです。2018年の研究【②】では、筋トレをするとDNAにエピジェネティックな変化が起こり、その後トレーニングを休んでも一部の変化が残ることが確認されました。

その結果、再びトレーニングを始めたときに、以前よりも反応しやすくなるわけです。つまり筋肉には「過去の経験を思い出す仕組み」が備わっているのです。

「一生残る」は本当か?

ここで注意しなければならないのは、「マッスルメモリー=一生残る」というのは少し言い過ぎだという点です。

筋核は長期的に残るという報告もあれば、加齢や長期間の不活動によって徐々に減少するという報告もある【③】【④】。 エピジェネティックな変化も数週間〜数ヶ月で元に戻ることがある。

つまりマッスルメモリーは強力な助けにはなりますが、「永遠の保証」ではありません。適切に身体を動かし続けることがやはり大切です。

高齢者でもマッスルメモリーは働く

興味深いことに、高齢者でもマッスルメモリーは機能します。

研究では、過去にトレーニング経験のある高齢者は、まったく未経験の人に比べて短期間で筋力を取り戻すことができると報告されています【⑤】。

これは「筋肉の貯金」があるからです。若い頃に培った筋力や動作の感覚は、年齢を重ねても身体に残り、再び運動を始めたときの強力な武器になります。これは健康寿命を延ばすためにも非常に重要です。

今の自分とマッスルメモリー

今回、腱板断裂と上腕二頭筋長頭腱断裂により、私は半年以上自主トレーニングを休まなければなりません。長年ベンチプレスで高重量に挑戦してきた私にとって、このブランクは大きな挑戦です。

ですが、筋サテライト細胞の働きやエピジェネティックな仕組みを知っているからこそ、「また戻せる」という確信を持っています。

筋肉はゼロからの再出発ではありません。これまで積み重ねてきた努力は必ず身体に残っていて、復帰したときに力を発揮してくれるのです。

まとめ:過去の努力は未来の自分を助ける

マッスルメモリーは単なる比喩ではなく、筋核や筋サテライト細胞、エピジェネティクスといった科学的な仕組みに支えられています。

もちろん、筋肉は使わなければ衰えます。しかし、過去に積み上げたトレーニングの成果は決してゼロにはならず、将来の成長を助けてくれる「隠れた貯金」として体に残ります。

だからこそ、「今の努力は未来の自分を助ける」と信じて、一歩ずつ積み重ねていくことが大切です。

私自身、来春の復帰を目指してリハビリに専念しています。そして再びバーベルを握るとき、マッスルメモリーがきっと背中を押してくれるはずです。

参考文献

【①】Bruusgaard JC et al. (2010). Myonuclei acquired by overload exercise precede hypertrophy and are not lost on detraining. PNAS.

【②】Seaborne RA et al. (2018). Human skeletal muscle possesses an epigenetic memory of hypertrophy. Scientific Reports.

【③】Snijders T et al. (2020). Satellite cell content and myonuclear addition: a crucial role in muscle plasticity in response to training and aging. J Appl Physiol.

【④】Gundersen K. (2016). Muscle memory and a new cellular model for muscle atrophy and hypertrophy. J Exp Biol.

【⑤】Taaffe DR et al. (2009). Once-weekly resistance exercise improves muscle strength and neuromuscular performance in older adults. J Am Geriatr Soc.