9月に入って朝晩は少しずつ過ごしやすくなりますが、暑さのピークを越えてからも、体の重さや疲れを感じることがあります。
「十分に寝てもだるい」
「朝から体が重い」
「以前より疲れやすくなった」
このような状態を一般に「夏の疲れ」や「秋バテ」と表現することがあります。ただし、特定の原因によって起こる一つの病気ではありません。
暑さによる睡眠の乱れ、発汗に伴う水分や電解質の不足、食欲低下、摂取エネルギーの減少、生活リズムの変化など、複数の要因が重なっている可能性があります。
疲労対策として話題になる食品の一つが鶏むね肉です。鶏むね肉を食べれば夏の疲れが解消するわけではありませんが、たんぱく質を補給しながら、カルノシンやアンセリンなどのイミダゾールジペプチドを摂取できる点は大きな特徴です。
1.夏の疲れを「体のサビ」だけで説明することはできない
体内では、エネルギー代謝や運動などに伴って活性酸素種や活性窒素種がつくられます。これらはすべて有害な物質ではなく、適度な量であれば細胞内の情報伝達や身体の適応にも必要です。
一方、発生量と体内の抗酸化能力との釣り合いが崩れると、酸化ストレスが強まり、脂質やたんぱく質などに影響を与えることがあります。
人を対象とした小規模な実験では、水分を保った状態でも強い暑熱負荷によって酸化還元に関係する血液指標が変化しました。しかし、この結果だけで、日常的な夏の疲れの原因が酸化ストレスだと断定することはできません。暑熱負荷と酸化ストレスを調べた研究
「夏の間に体のサビが蓄積し、9月になると一気に疲労として現れる」という説明は分かりやすい反面、現在の研究で確立された仕組みではありません。
2.鶏むね肉は高たんぱく・低脂質の食品
文部科学省の食品成分データベースによると、若鶏のむね肉・皮なし・生100gには、次の栄養素が含まれています。
・エネルギー 105kcal
・たんぱく質 23.3g
・脂質 1.9g
脂質を抑えながらたんぱく質を確保しやすいため、体づくりや体重管理、運動後の食事にも取り入れやすい食品です。
ただし、疲労からの回復にはたんぱく質だけでなく、活動量に見合ったエネルギー、炭水化物、水分、電解質、ビタミンやミネラルも必要です。鶏むね肉だけを食べればコンディションが整うわけではありません。
3.イミダゾールジペプチドとは
イミダゾールジペプチドは、一つの成分名ではなく、カルノシンやアンセリンなどの総称です。
カルノシンはβアラニンとヒスチジン、アンセリンはβアラニンとメチルヒスチジンが結合したジペプチドです。動物の骨格筋などに存在し、酸性化を緩衝する働きや、金属イオンとの結合、抗酸化作用などが研究されています。
「カルノシンとアンセリンという二つのアミノ酸が結合した成分」ではありません。また、摂取すると体内に蓄積した「サビ」を直接取り除くという表現も正確ではありません。
食品や抽出物を使った研究から、酸化・炎症反応や運動時の疲労に影響する可能性が検討されている段階です。
4.鶏もも肉より鶏むね肉に多いのか
イミダゾールジペプチドの含有量は、鶏の品種、年齢、飼育環境、筋肉の部位、保存状態、測定方法によって変わります。そのため、すべての鶏肉に共通する固定値ではありません。
2014年に発表された成分分析では、一般的なブロイラーの生肉100g当たりに含まれる量は、次のように報告されています。
鶏むね肉
・アンセリン 約648mg
・カルノシン 約417mg
・合計 約1,065mg
鶏もも肉
・アンセリン 約255mg
・カルノシン 約183mg
・合計 約438mg
この研究では、むね肉に含まれる二つの成分の合計は、もも肉の約2.4倍でした。ほかの品種を含めた比較でも、むね肉の方が多い傾向が示されています。鶏肉の部位別成分を比較した研究
「鶏むね肉には鶏もも肉より多く含まれる」と説明することはできますが、含有量や倍率は製品によって異なる点に注意が必要です。
5.人を対象とした疲労研究で分かったこと
2008年には、健康な成人20人を対象とした二重盲検・プラセボ対照・クロスオーバー試験が報告されています。
参加者は、イミダゾールジペプチド400mgを含む鶏むね肉抽出物配合飲料、または成分を含まない飲料を29日間摂取しました。その後、固定負荷の自転車運動を4時間行い、さらに4時間の回復時間を設けています。
抽出物を摂取した条件では、短時間の高出力テストにおけるパフォーマンス低下と、主観的な疲労感が抑えられたと報告されました。鶏むね肉抽出物と身体的疲労を調べた研究
抗疲労作用を検討した人の研究として参考になりますが、対象者は20人と少なく、4時間の自転車運動という特殊な疲労負荷です。通常の食事として鶏むね肉を食べた試験ではなく、夏の暑さによるだるさを調べた研究でもありません。
6.運動後の酸化・炎症関連指標を調べた研究
2022年には、平均年齢21歳前後の男性20人を対象とした無作為化二重盲検プラセボ対照試験が行われました。
参加者は10人ずつに分けられ、次のいずれかを14日間摂取しました。
・鶏むね肉エキス 1日4g
・メチルセルロースのプラセボ 1日4g
使用されたエキスにはカルノシン関連成分が40%含まれていたため、実際のイミダゾールジペプチド量は約1.6gです。アンセリンとカルノシンの比率は、およそ2対1でした。
14日後に、トレッドミルで強度を段階的に上げる運動負荷試験を行い、運動前、終了1分後、30分後、24時間後、48時間後に血液を調べています。
エキスを摂取したグループでは、運動直後の過酸化水素の上昇が抑えられ、研究者が酸化還元状態の一つの指標として用いた一酸化窒素と過酸化水素の比率が高くなりました。総抗酸化能も高く、運動後の一部の測定時点では炎症関連指標のCRPが低い値を示しました。
一方、酸化損傷指標の8-イソプロスタンには明確な変化がなく、乳酸と筋損傷に関係するミオグロビンにもグループ間の差はありませんでした。
この試験は疲労感を評価していないため、「鶏むね肉が疲労を回復させた」と結論づけることはできません。正確には、濃縮した鶏むね肉エキスの継続摂取が、激しい運動後の酸化・炎症関連の血液指標を調整する可能性を示した研究です。2022年の無作為化二重盲検プラセボ対照試験
7.渡り鳥の持久力を証明する成分なのか
鳥類の胸の筋肉にイミダゾールジペプチドが多く含まれることは知られています。しかし、渡り鳥が長距離を飛べる理由を、この成分だけで説明することはできません。
長時間の飛行には、筋線維の性質、脂質代謝、呼吸循環機能、エネルギー貯蔵など多くの要素が関係します。「渡り鳥の驚異的な持久力をイミダゾールジペプチドが支えている」と断定するのではなく、「持久的な活動との関係が注目されてきた成分」と表現するのが適切です。
8.1日100g食べれば十分なのか
鶏むね肉100gは、たんぱく質を約23g摂取できる実用的な一食分です。しかし、イミダゾールジペプチドの効果を得るために「1日100gで十分」とする基準は確立されていません。
先ほど紹介した研究でも、400mgの成分を含む飲料を使った試験と、約1.6gを含む濃縮エキスを使った試験では、摂取量も評価項目も異なります。
さらに、食品中の含有量は品種や調理法によって変わり、抽出物と通常の肉では消化や吸収の条件も同じではありません。
100g前後を一食分の目安として取り入れることはできますが、研究と同じ効果を保証する量ではないことを理解しておきましょう。
9.成分を無駄にしにくい調理方法
カルノシンとアンセリンは水に溶けやすい成分です。2021年の研究では、焼いた鶏肉と生肉の含有量はほぼ同程度でしたが、茹でた場合は肉の中の含有量が大きく減りました。これは成分の一部が茹で汁へ移ったためと考えられています。調理による含有量の変化を調べた研究
取り入れやすい調理方法は次のとおりです。
・蒸して、出てきた肉汁も料理に使う
・スープや鍋に入れて汁ごと食べる
・強火で加熱しすぎず、焼いて仕上げる
・低温調理器を使用する場合は、中心温度と加熱時間を確認する
鶏肉にはカンピロバクターやサルモネラ属菌が付着している可能性があります。農林水産省と厚生労働省は、中心部を75℃で1分以上加熱することを目安としています。低い温度で調理する場合も、同等の殺菌効果が得られる時間と温度を守り、中心温度計で確認することが重要です。農林水産省による鶏肉の食中毒予防
10.鶏むね肉だけに頼らない疲労対策
夏の疲れが残っているときは、鶏むね肉を単独で食べるよりも、次のように食事全体を整えることが大切です。
・鶏むね肉でたんぱく質を補う
・ご飯や麺類、芋類などから炭水化物を確保する
・野菜、果物、海藻類などを組み合わせる
・発汗量に応じて水分と電解質を補給する
・食事量が落ちている場合は、一度に無理をせず回数を分ける
例えば、蒸した鶏むね肉だけで済ませるのではなく、ご飯、野菜、汁物を組み合わせることで、たんぱく質、エネルギー、水分をまとめて補給できます。
食事と同時に、睡眠時間、室温、運動量、休養の取り方も見直す必要があります。
11.鶏むね肉は有力な選択肢だが、疲労を治す食品ではない
鶏むね肉は、高たんぱく・低脂質で、イミダゾールジペプチドを比較的多く含む食品です。濃縮した抽出物を用いた小規模な人の研究では、運動による疲労感や酸化・炎症関連指標に良い変化が報告されています。
ただし、通常の鶏むね肉を食べるだけで、夏に蓄積した酸化ストレスや炎症が解消されると証明されたわけではありません。
鶏むね肉は、疲労を治療する特別な食品としてではなく、必要な栄養を整えるための使いやすい食材として取り入れるのが適切です。
十分に休んでも強いだるさが続く、発熱、息切れ、動悸、食欲不振、意図しない体重減少などを伴う場合は、食事だけで対処せず医療機関を受診してください。
参考文献・資料

